昭和四三年九月八日 朝の御理解


X御理解第八三節 「一年に分限者になるような心になるな。先は長いぞ。一文二文とためたのは、みてることはないが、一時に伸ばしたのは みてやすい。神信心をすれば、我慢我欲はできぬぞ。ぬれ手で粟のつかみ取りの気を持つな。人より一年遅れて分限者になる気でおれ。」


 むつかしいことですね。だれでも骨折らずに分限者になれたら、だれでも骨を折らずに分限者になりたいというようなものを、心の底に持っておるものですね。濡れ手に粟のつかみどりというようなことがもし現実にあるとすると、すぐそういう心に人間はなるものです。信心をすれば、そういう心になってはならんと教えておられるですね。我慢我欲はできぬ。濡れ手に粟の掴みどりの気になるな。人より一年遅れで分限者になる気になれ。そこで信心をさせて頂いておりましてですね、信心をさせて頂いておりますと、人より一年遅れて分限者になることばかりをこうやって信心させて頂いておれば、いつかはおかげが頂けるだろう、そういう又、夢のような考え方も間違いですね。それではいつまでたっても分限者になれません。分限者にならして頂いて、人間の本当の幸福、人間の本当の、これが幸せだというものを、頂かせてもらう、つかましてもらうね。人間が濡れ手に粟の掴み取りというものが、よしあっても、それでは、そのことによって分限者になっても人間の幸せとは全然違ったこととなることを私どもは、まず知らなければいけません。まあ、掴み取りではなくても、親から譲られた沢山な財産と物といった様なものがある人がはたして幸せか、ね。幸せかというとそうではないです。その日暮しの中にでも一日の生活の中に楽しい、そしてありがたい生きがいを感じながら生活をしている人もあります。どんなに沢山な財産を持っておっても、生きがいも何もない生き方をしている人もあります。ですからもちろん、
信心によって分限者にならして頂くということは、信心によって真実の幸せ、真実の幸福を頂かなきゃならんね。その幸せに欠くことができないのが、結局分限者の徳である。物にも金にも一切のものに生きていく上に不自由のない生活の出来れるおかげを頂かなければならん。そういうおかげを一時に伸ばす、一時に濡れ手で粟の掴み取りといった様な事を夢みてはならないね。人より1年おくれて分限者になれ気になれと言うてそんなら信心させて頂いといや。誰でも分限者になれるかと言うとそうじゃないね。なんて甘い考え方出おっては一生たってもいわば、それがそうゆう、信心が子供や孫に伝わっておっても二生たっても三生立っても分限者にはなれませんね。そこでここのところをもういっぺん頂かなきゃなりません。一年に分限者になる様な心になる先は長いぞ。一文、二文とためたものはみてることはないが、みてることのないものね。なくなることのないもの、もうこれでおしまいと言う様なことのないもの、この御理解ではここんところが一番大事なところね。一文二文と貯めたそれは、一分ずつでも一厘ずつでも文限者になるための基礎がかたまりていきようることね。一分ずつでも一厘ずつでも一文ずつでもこれで満てる事のないもう尽きる事のない。 無尽蔵に頂けていけるところの分限者の徳とでも申しませうかね。そうゆうものがです。*貯っていきようらにやいけん、ね。信心しよう*りやそうゆうものがです。貯っていきようらにやいけん。そこにひびの踏まずたゆまずの精進が必要なのです。一文、二文と貯めてゆくということが、あ、一文、二文貯めんでもそれは目くそ出、お金で言えば目くされ金という様に、かるう見る様な心で分限者になる事は絶対出来ません。 よしなったとしてそれは、分限者のとくにはなりません。必ずそういうもし財があるならみてる尽きる、限りがある。一文、二文とそれこそ、貯めあげゆくそういう努力、そういう精進ね、ここんところに一時に伸ばしたのは、いけませんけれど、そういう信心の徳というものが、積み上げられてですね、例えば、私が、ここのお広前が御造営になった時にですね、たしか、開教式だったでしょうか、落成式の時に、皆様に、ご挨拶の中に申し上げました様に忽然としてここ合楽にこの御広前が建立されたという言葉を使ったね、ここには家もなんもなかった。*ここに「やんざん森」という森があってあの前に中村さんとこのお店が、私ども若い時分からあったいわばこの辺にはまあ私どもが小さいとき**何にもない田の中に本当に忽然として大広前がでけた。ある日忽然という言葉が一番おおておる。***こうならなければならない様になった、なったんだね。それがスムーズに人間関係***建立されたね。ですからね、ならそれまでの合楽の信心**時代の信心を思うてみなきゃいかん。いわゆる一文、二文と貯め上げおったということなんだ。これはお金の事ではないですよ。お互いの信心と言うものがですね、もちろん財の上にも一文、二文あったでしよう。けれども日々をおろそかにしない実意丁寧をいわばモットーにしてです。日々こうあること夢にもみていなかった。夢にも・・・。夢にも思わなかった。ただね、日々をこつこつとしてです。信心生活にいそしまして頂いたと言うだけのことですからここんところを間違いない様にですね、例えば今皆さんにわかって頂こうとする皆さんにわかって頂こうとする。いっぺんに財産家にならうと言うではないですよ。そういう基礎というものが、だんだん出来たらそれこそもうあっという間ですよ。財産を築くのは根、それは決して濡れてに栗の掴み取りではないですよ。一文、二文と貯め上げてきてあるのですからね、たとえば、なら甘木の(石原さん)あたりがああいう大変なおかげを頂いておられますけれど結局一文、二文と貯め上げて見えておって、その中には、降ることもありゃあ、照ることも有る。それこそ、大広前に座って死を決したと言われる様な時も何回もあったと言う話。その時、親先生にお取り次ぎ頂いてですね、泣くにも泣かれん様な中を辛抱しぬかして頂いておられる中、一文、二文貯っていく。そしてからあの大きな財産が**出来というものか。それこそ、まあ言うならばもう忽然として出来たんですよね。それがそう言う忽然として頂けるものの基礎というものがあってのそれだから、見てるというものがないでしょうが。御用のために、一生懸命御用に回っておられれば内では沢山のお店やら、会社やらが立ち入っておられるね。あちらの名刺を見てごらんなさい。肩書だけでもいっぱいですよ。名刺にいっぱいですよ。どこどこの重役どこどこの何といったようにね。なるほど一文、二文と貯め上げたものはみてるということはない。お互いがね、ここんところがね、今日はよう解って頂きたいね。人より二年遅れても分限者になる様になっとる。だから信心しよう*何時かは神様がちゃんとよい道を開いてくださるだろうと言ったような漠然としたようではいけません。なるほどこれならば頂けるんだと言う。一文、二文貯め上げていきよる。貯めていきよる。そのことが*いうならば、手ごたえと言うものが、道になからなければだめね。一文、二文貯め上げていきよるとそう言う。いわば、一番身近な事実は今私の信心を聞いてくださったり、又、見てくださっておられる方が一番よう解ってくださる。 私が、お道の教師になり、先生に習うとは夢にも思ってなかった。引き上げて帰らして頂いて今までの過去の信心というものが、ただおかげおかげに走った信心であった事に気付かしてはる。それには教祖のお教えを行ずるでなく、ただ拝んだりお取り次ぎを願うたりしておかげを頂いてきた。確かにない命も助けて頂いてきた。 聞けんとこうも聞いて頂いた。けれども、結局は、着のみ着のままの状態で投げ出された。終戦という大きな節に直面した。そこから今までの信心の間違いを悟った。 そこから、一文、二文と貯め上げた生活が始まったのですね。そうしてです、そんなら、私が、福岡から帰らして頂いて、*目に引き上げ帰ってきた時には、もうすでに人が、私を尋ねて来るようになっていた。私の話を聞いて、助かると言うて人が、三々五々集まって来るようになった。
これはどっこい商売にも出られんようになった。もちろん差止めであった。そういうもたもたしとる間に一年たった。一年たったらどうにも出来なかった借金**が出来ておった。そればかりではなかった。一年後には私が個人による私のお祭りをつかえたときには、もういっぺんではお祭りがつかえられない。もちろん狭かった。ですけれど、あの家がいっぱいですから二回にお祭りをつかえるようになった。人が集まるようになっておった。それはいわば一年目の時です。あの御理解書が出来たとき、ね。ですから、いうならあっと言うまでしょうが借金**が出来たのも、言うならたくさんの人が集まって来るようになったのもあの時に教会としてのまあ基礎が出来てあったと念じます。それから年々、再々*合楽へ移ろうとかここにこういう様なお広前を建立しようとか夢考えたことはなかった。けれども、それは必要に迫られてそうしなければならないようになってきた。
そしてここに忽然として、こうしたお広前が建立された。たくさんの人が集まってきてここでいよいよ助かるようになってきた。ですから、ここんところいうならまあ、濡れ手で雲の掴み取りのような感じですよね。いっぺんにできたけれど、それまではそれまでのできるものというものがあった。それが一文、二文と貯め上げであったということです。それなら、ここで一文、二文と貯め上げてということはそういうことであろうか。もちろん金銭の事もありましょうね。***愚かに、おろそかに物でも金でもしゃあならないとここで教えられてありますけども、ここでね、私は、一文、二文と貯めてるがみてるということがない、つきるということがないというなら、限りがないおかげを頂ける基礎であるところの元であるところのものを身につけていくということ、そこでなら私はどういう様なあり方であったか。こういうことです。皆さん、例えば、あの楽器を例に取りましょうね。一丁の三味線というものがありますね。三味線があるからというて、それが、誰が引いてもよい音色が出るということはありません。それを手にする(手に**)ものがまず調子を整えあわせていかなけらばいけん。調子がきっちり合わなければ、いけません。私は一文、二もん貯め上げていく生活というものは、ちょうど、楽器のようなものだ。又、その楽器の調子を含ませるようなものだ。又、その稽古によって次々と次々から次と曲を覚えて自由自在にひきこなしていくことだとこう思うのです。ですから、まずここでは調子を合わせる心の調子を含ませることを神様との波長と申しましょうか。そのいわゆるそこの所を神の心を心としてとか自然の心を心としてとか申します。神との心の調子を合わさなければいけない。まあ、そこでお互いの心が汚れ果てておったんでは、なかなか合いません。いわゆる限りなく美しくなりますようということなんです。為には、磨きもしなければ*改まりもしなければならない。そこから神様の心を調和がとれてくる。それが実に楽しいもの。私は、昨日4時の御祈念を終えさせてもらってこの頃だいたい30分間心中祈念をさせて頂くのです。けれど、この頃どうも40分になったり、50分になったり立ち上がれん。昨日も私が座らされて頂いた途端、頂いた事は「ティータイムショー」と頂いたのです。あれは今あります中に、日本テレビの中に前の間の時間という意味合がありますね。例えば、私どもが、茶の間に入ってきた一服するとか心の安らぎをですね、願うように私が4時にここに進んで出て来ること神様が何ともかんともいえん。楽しさで待ってござる。もう私が柏手を打つ暇もなく、もうすぐ座ったが、最後神様との交流が始まっておる。次に頂いた事はね、学校の校庭という字を漢字で頂くのですよ。漢字で校、*きへんに重ね交わると書いてある。いわゆる神の木、神の心と私どもの心が途端に*交わいだすしかも朝とか晩とかの御祈念なんかはなかなか御祈念をさせてもらうけれどもあれを願いこれを拝みこれをお礼申し上げるというようなまあ、一つの祈りを*いかくなければならんと言われる。祈りが*もんようであるけれども、4時の祈りはそうでないのです。もうただ会っておれば、楽しいと言うのです。私も3時半には今私4時までにはここにひかえにひかえています。3時半頃になりますともう心が落ち着かない感じ。それで少し早いけれど、3時半にここへ出て来る。そして4時の時間を待つわけです。神様も一緒同じ人。*神様もおさおさしござる。そしてそこで交流する。その年を願うてござる交流しだしたら何にもない、言うことはない。その4時というタイム、4時という時間が私と神様の一番の楽しい一時である、と言うのである。頼むとか頼まれるとか、そういうものではない。ただこう交流しておれば、会うておればありがたい、いわゆる合楽なのです。そういうようなこと昨日頂いてですね、いよいよありがたくならして頂いたんです。けれども、そうして神様と私どもの上どの様な場合でも、波長が合う心が合うそれには、まず私どもは神の心を心として知らなければ、神様が油であるのに私どもが、水であったんじゃ合いません。そこで私どもはいっぺんに神様のようにはなれません。けれども、合うということはどういうことかというと、神様の心に叶う、私になろうと努める心なのです。神様の思いにそわして、頂こう、その心がもう神様と合うのですね。そこで私どもがです。絶えず、自分と言うものを見極めて行きよらしませんと、合うとおるようであって合うていない、いわゆる楽器ではないですけれど、まあ、三味線でいうならば、合うてござる、合わせてもらったはずだ。けれどもね、たしか朝の御祈念には、お参りさせて頂いてちょうど時計を合わせるように確かに親先生の心ともおおとる神様の思いとも合うとる感じであった。その**にありがたかった。ところが、家に帰って、来るようになったら、一が上になったり、二が下がったり、上がったりになってしまう。そこで何時でも、調子を合わせていくというそういう精進、いわゆる自然の心と合うていかなければいけない。この辺の所、皆さんは合わせていくコツというものを私は繰り返し繰り返し皆さんに聞いてもらっているからわかっておいでだろうと思うのです。ね、一つの事をなされるでも神様の*お許しを頂いておらんなと、いうようなものがすぐこれに感じられる。たとえと言うと、夕べの総代会でもうすぐ皆さんが帰られます。最後に私、送らしてもらおうと皆帰って行かれ、その中一人残っておられた。ですから、表を・・・・勇が乗せて行ってくれると言うておりますからと表に出られた。私も、そこまで送って行った。ところが、もう勇さんはもうすでに帰っておられた。後であった。今日、奥さんが具合いが悪くなされる。早く休んでおられる。休んでおられるなら、明日の御用ができんから朝の御用のために、残らして頂こうかというふうに言うておられた。けれども勇さんが(*まっちゃん)が早く帰んなさいと言うておられた。*ところが、車がなかった。こりゃ今晩は泊まろうとして頂くのが本音だな、そこに茂おさんの心と自然の心とがピタッと合ったね、合わせていくというのはそういうことなんです。たとえば、帰ろうと思っておっても、止められた。止められただけではない。そこには神様が、なるほど神様が止めてござるなと行ったようなもの。たとえば、自然の成行きの中からでも感じ取らせて頂くということなんです。これはたとえば、そういうだけではない。自分の心というものが何時も神様の心を交流しておる時、又、合うておるそういう事に合う、合わぬは別として、合わせようという意欲は願いとしていうものがね、それが日に何回と神様の心が合うという、それが一文、二文と貯めたいくのですよ。ね、それが一文、二文と貯めていく中に、一日のうち何時も神様と交流、神様と会っているということになっているのですよ。ここんところの説明が、日頃の信心の皆さんが合わせ方、教師の合わせ方、先生が右と言うてござると自分は左と思う、そんなこと思うて、おる時は、絶対、帳尻が合うておらん時です。自分が左と思ったが先生が左とおっしゃった。ほんにそうだと心に思うた、そんな時、帳尻が合うた時、先生の心に合わせることが帳尻が合うてござるなら先生に合わせることが、帳尻が合うことです。だから、親先生の顔色さえ見ときやあ、何時も言われるのもそれなんです。そう言う日々が三年、五年と続けられていく中に、一文、二文が貯め上がっていく。そこに人間の一握りと言うたら、これだけれども神の一握りと言うたらどれほどあるかわからん、と言うほどの一握りに触れることが出来る。それこそ忽然として財産が、出来るほどのおかげを頂けると言うこと、これは決して濡れ手に粟の掴み取りではないということ、それは私ども信心しよれば何時かは道が開けるじゃろう。人より遅れて分限者になる気になっとるから、何時かは分限者にならしてもらうじゃろう、と言うて日々の精進を怠って一文、二文貯めていこうとする精進がなしにおかげを頂くはずがない。ね、この調子さえ失わなかったら神様とこの調子が合うてさえいきようればおかげになる誰がなんと言おうてもおかげになる確信を持って日々過ごして行けるようなですね、信心を身につけて行かなければならない。御理解八十三節は、そのようなことを教えておられる。私もしかし今日初めて気が付いた。ただ人より一年遅れて分限者になる気でおればいい。我慢、我欲は、出来んとおっしゃるから、我慢ださなきゃいいというようなことだけこの御理解の二つの中から感じておったけれども、やあ一番大事なことはそうじゃない。一年に分限者になるような心になるな。先は長いぞ。一文、二文と貯めたのは、みてるということがないとおっしゃる。みてるということのないものを貯めていきよるかどうか確かめていく、これでいっぱいだ、これで尽きたといったようなものがないのが、一分ずつでも、一厘ずつでも自分の心の中に頂き感じたものが、ゆきようならば、なおかつ、そして我慢であり、我欲、人より遅れて分限者になる気になるということなんです。そこから、開けてくるところのおかげ、そこから開けてくるところの道というものが、お互いが体得させて頂かないと思うんです。信心になれば何時も神様と私が交流しておる。いわゆる行き届いたことになってくる。だから、神様は行き届いたおかげをくださる。何時も神様と交流しておる。行き届いた信心をすれば、神様は又、行き届いたおかげをくださる。言うなら、かいたところに手が届くような信心をするから、神様か又、こちらがかゆいとことに手が届くようなおかげをくださる。そんなら、その行き届いた信心とは(*)そうではない。神様に何時も行き届いておる。神様に届いておる。しかも、一言二言ではない。万事に行き届いておらにゃいけん。どこにおろうが、何をしておろうが、それをその中に神様と通うておらなければならん。それは寝たままでも通うておらねばいけない。寝たままでも通うておるから御神問をくださるのです。万事に行き届いた信心、神様に何時も交流している信心、そういう信心が、私は出来たらこの御理解の全てのところが始めから最後までがです、そうしなければそう講じなければおられなくなってくるのですよ。してみると、ここんところのたったあまり気付かない万事に行き届いたというところがあるが、ここが一番大事だということが判るでしょう。そこで万事に行き届くためには、日に日に生きるが信心なりと言うこと、信心しておれば一年一年ありがとうなってくるとおっしゃるがこれが自分の信心の(途中切れ)